ゴッホ作品《花咲くマロニエの枝》とは?魅力と3つの鑑賞ポイント

ゴッホ作品の《花咲くマロニエの枝》は、花盛りのマロニエを画面いっぱいに描いた、とても美しい絵画です。

ゴッホ作品《花咲くマロニエの枝》をより深く味わうために、「満開のマロニエ・奇跡の帰還・ガシェ医師との親交」という3つのポイントで、作品を見てみましょう。

ゴッホ作品《花咲くマロニエの枝》とは?

《花咲くマロニエの枝》は、ゴッホ最晩年の作品です。緑に包まれた小さな村、パリ近郊のオーヴェール=シュル=オワーズで描かれました。

マロニエといえば、パリの街路樹としておなじみですね。整然と刈り込まれた並木道、歴史を感じさせる風格。そんなイメージがありませんか?

でもゴッホにとってマロニエは、もっと近しい、そして愛すべき存在だったようです。

花咲くマロニエと出会ったゴッホは、きっと美しさに見とれたのでしょう。枝を手折り、持ち帰ります。そして、じっくり愛でながら大事に描きました。

豊かに茂る葉、流れるような枝ぶり、そして小さく愛らしく咲く花。目の前にマロニエの枝があるかのような臨場感があると思いませんか?

まるでゴッホと同じ目線でマロニエを見ているような……そんな気持ちになる一枚です。

《花咲くマロニエの枝》をもっと愉しむ3つのポイント

ゴッホ作品の《花咲くマロニエの枝》を愉しむために、知っておきたいポイントを3つ紹介します。

ポイント(1)満開のマロニエ

名画《ひまわり》で知られるゴッホは、花を愛した画家でした。ひまわり以外にも、終生たくさんの花の絵を残しています。

恋焦がれた日本を連想させるアイリス、野に揺れる黄金色のきんぽうげ、鮮やかな桃色をした夾竹桃……さまざまな花を描きました。


フィンセント・ファン・ゴッホ《アイリスの咲くアルルの風景》1888年 ファン・ゴッホ美術館蔵


フィンセント・ファン・ゴッホ《夾竹桃と本のある静物》1888年 メトロポリタン美術館蔵

そんなゴッホがオーヴェール=シュル=オワーズに着いたころ、ちょうど満開のときを迎えていたのがマロニエです。

マロニエは新緑の季節を迎えると、ほんのり赤みを帯びた、白い花を咲かせます。まるで鈴をたくさんつけているかのようです。

若葉の間から、こんな花がたくさん顔をのぞかせるのですから、それはもう見事なはず。

石井好子さんのエッセイ『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』にも、マロニエの花を描写したこんな一節があります。

森につづく通りの並木は、マロニエの大木だった。青葉がかくれるほど、白い花が空に向って咲いている。マロニエの花ってこんなにたくさん咲くものかといまさらおどろいた。

(引用)2011年 河出文庫 石井好子著『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』30Pより

「空に向って」という表現が、とても印象的ですね。

一斉に空を目指すようなマロニエの花に、ゴッホは自由の喜びをかみしめたのかもしれません。

というのも、オーヴェール=シュル=オワーズに移り住む前、ゴッホはサン=レミの療養所で過ごしていたから。

かの有名な耳切り事件を起こし、療養所生活を余儀なくされていたのです。


フィンセント・ファン・ゴッホ《耳に包帯をした自画像》1889年 コートールド・ギャラリー蔵

ゴッホが弟テオに宛てた手紙によれば、ゴッホは療養所でも絵を描いていました。でもやはり特殊な環境ですから、次第に療養所を出たいと考えるようになります。

そして、オーヴェール=シュル=オワーズへ。ここではもう自由です。絵のモチーフを探して、近所を歩き回ったのではないでしょうか?


フィンセント・ファン・ゴッホ《オーヴェルの家々》1890年 トレド美術館蔵

弟テオへ宛てた手紙を見ていると、オーヴェールの美しさをしみじみ味わっている様子がうかがえます。

オーヴェールはとても美しい、ことに今では珍しくなった茅葺屋根がたくさんある。~(中略)~すごく美しいのだ、のどかで典型的なほんとの田舎なのだ。

(引用)1970年 岩波文庫 ヴィンセント・ファン・ゴッホ著、ボンゲル編、硲伊之助訳『ゴッホの手紙(下)テオドル宛』258Pより

初夏の空気を感じながら、美しい花を探して歩く。穏やかで幸せなひとときだったはず。《花咲くマロニエの枝》には、ゴッホの弾む心がそのまま現れている気がしてなりません。

ポイント(2)奇跡の帰還を果たした名画

ゴッホの《花咲くマロニエの枝》は、かつて盗難の憂き目にあった作品です。そして奇跡の帰還を果たしたという過去をもっています。

フィンセント・ファン・ゴッホ《花咲くマロニエの枝》1890年 ビュールレ・コレクション

事件が起きたのは2008年2月10日のこと。スイス・チューリッヒのビュールレ美術館から、ゴッホやセザンヌ、ドガ、モネら巨匠の大作4点が持ち去られました。

被害にあったのは、ゴッホの《花咲くマロニエの枝》の他、セザンヌの《赤いチョッキの少年》、モネの《ヴェトゥイユ近辺のひなげし》、そしてドガの《ルピック伯爵と娘たち》……そうそうたる顔ぶれです。

4点の価値は1億8000万スイスフラン、日本円にして約175億円。当時“世界の美術品盗難史上で最大規模”と言われた大きな事件でした。

いまでは4点とも持ち主のもとへと戻り、私たちの前に姿を見せてくれます。世界を揺るがした事件に巻き込まれ、そして戻ってきた《花咲くマロニエの枝》。類まれなる強運の持ち主なのかもしれません。

ポイント(3)医師ガシェとの親交

オーヴェール=シュル=オワーズで、ゴッホの診察をしたのがガシェ医師です。

《花咲くマロニエの枝》は、ガシェの庭に置いてあった赤いテーブルの上に花瓶を置いて描いたものと言われています。


フィンセント・ファン・ゴッホ《医師ガシェの肖像》1890年 オルセー美術館蔵

ガシェ医師は美術を愛し、自らも絵を描いていました。ゴッホはそんなガシェ医師と親交を深めます。

弟テオへの手紙にも、たびたびガシェ医師の話題が出てきいます。「もうすっかり親しくなった」と伝え、「ガシエ爺さんは君や僕にとてもよく似ている」とも書いています。

ゴッホはしばしばガシェ医師宅をたずね、絵を描きました。

ガシエの家は骨董屋の店のように、割合つまらないいろいろな物でいっぱいだ。それでも花を飾ったり、静物を並べるのに適当なものが揃っているから不自由しない。

(引用)1970年 岩波文庫 ヴィンセント・ファン・ゴッホ著、ボンゲル編、硲伊之助訳『ゴッホの手紙(下)テオドル宛』268Pより

「割合つまらない物」といった言葉を使っているかと思えば、「(絵を描くのに)不自由しない」と続きます。いそいそとガシェ医師宅に通い、絵を描いていた様子が思い浮かび、ほほえましい一文です。

ガシェ医師の庭にも、たくさんの花が植えられていました。こちらの《庭のマルグリット・ガシェ》は、花に囲まれた庭に立つ、ガシェ医師の娘を描いた作品です。

フィンセント・ファン・ゴッホ《庭のマルグリット・ガシェ》1890年 オルセー美術館蔵

ゴッホはガシェ医師と、花の美しさはや絵画に対する想いなど、さまざまな会話を交わしたのでしょう。家族を描いていることから、ガシェ医師本人のみならず、彼の家族からも受け入れられていたことが分かります。

サン=レミ時代を経た後だけに、きっとゴッホにとって心温まる時間だったはず。絵の明るさに、心の明るさが反映されている気がします。

ところが《花咲くマロニエの》を描いてから、およそ2か月後。ゴッホは自らの命を絶ちました。そして弟テオによって、この作品はガシェ医師に寄贈されます。

オーヴェール=シュル=オワーズで過ごした70日ほどの間に、ゴッホは80点以上もの絵を描きました。

明るい色彩に満ちた、美しい絵画をたくさん残しています。


フィンセント・ファン・ゴッホ《ドービニーの庭》1890年 ファン・ゴッホ美術館蔵

フィンセント・ファン・ゴッホ《ドービニーの庭》1890年 バーゼル市立美術館蔵

どの絵にも緑が溢れ、空は青く澄み切っていました。その色彩は、きっとガシェ医師との交流があったから……テオもそう感謝していたのかもしれません。

まとめ

「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」で《花咲くマロニエの枝》と対面したとき、その澄み切った美しさに心打たれました。

いかにもゴッホといった厚塗り、それなのになぜか透明感があるのです。

濃淡のある葉は瑞々しく、咲き誇る白い花もキャンバスから香り立ちそう。柔らかな空気が漂っていて心地よく、その前から離れられなくなりました。

ふと心地よいそよ風が吹き抜けたような……そんな気がしたほどです。

花をこよなく愛し、生涯モチーフとし続けたゴッホ。《花咲くマロニエの枝》は、ゴッホの優しい眼差しが伝わる美しい作品です。

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