ゴッホと浮世絵、名作ひまわりなどを生んだ3つの影響とは?

ゴッホは、日本の浮世絵から影響を受けた画家として有名です。でも一体、なぜ浮世絵に惹かれたのでしょうか?浮世絵をどのように、自分の作品に生かしたのでしょうか?

そのヒントとなるのが、「くっきりとした輪郭・平坦に塗られた色・大胆な構図」の3つです。ゴッホの名作をより愉しむために、ゴッホと浮世絵の関係をまとめました。

ゴッホと浮世絵の出会い

ゴッホは1886年、故郷のオランダを離れ、パリへと出てきました。

1886年といえば、エッフェル塔が完成する3年前のこと。当時のパリではジャポニスムが花開き、日本趣味が流行していました。

ゴッホは、日本から大量の浮世絵を持ち帰った画商ビングの店で、浮世絵と出会います。ゴッホにとって初めてみる浮世絵には、自由が溢れていました。

当時の西洋絵画では考えられない大胆な構図、明るい色彩、影のない風景……すべてに衝撃を受けたゴッホは、浮世絵に心底惚れ込んだのです。

浮世絵を知ったゴッホは……

浮世絵を知ったゴッホは、情熱と研究意欲を浮世絵に注ぎました。精力的に浮世絵を集め、模写するようになります。

(1)およそ600枚もの浮世絵を収集

浮世絵に惹かれたゴッホは、浮世絵を集め始めました。浮世絵のコレクターとなり、パリのカフェ「ル・タンブラン」で浮世絵展も開催します。

作品が売れず、弟テオに経済的にも精神的にも頼っていた頃です。当時はまだ安価だったとは言え、ゴッホにとって大きな出費です。にも関わらず、集めた数はおよそ600点とも言われています。

その膨大な数から、ゴッホの並々ならぬ知的好奇心と探求心が伝わってきます。そして弟テオの理解にも頭が下がります。

(2)浮世絵を模写

ゴッホは浮世絵を集めただけではありません。より深く学び、浮世絵のエッセンスを吸収しようと、浮世絵を模写しました。ゴッホがパリ時代に描いた模写作品が、現在も3点残っています。

◆浮世絵の模写(1)《ジャポネズリー おいらん》

あでやかな色彩が印象的な作品です。渓斎英泉(けいさいえいせん)の《雲龍打掛の花魁》を掲載した『パリ・イリュストレ』誌(1886年5月号)の表紙を模写しました。

フィンセント・ファン・ゴッホ《ジャポネズリー:おいらん》1887年 ファン・ゴッホ美術館蔵

ゴッホらしい鮮やかな色彩で描かれ、花魁の周囲には竹林や蓮などが描かれています。ただ模写しただけではなく、日本の風土や文化についても詳しく調べていたことが分かる一枚です。

◆浮世絵の模写(2)《ジャポネズリー 雨の橋》

いかにも浮世絵らしい一枚です。歌川広重の《名所江戸百景 大はしあたけの夕立》を模写しました。

フィンセント・ファン・ゴッホ《ジャポネズリー:雨の橋》1887年 ファン・ゴッホ美術館蔵

当時の西洋では、雨は描くものではありませんでした。雨を線で描く手法に、ゴッホをはじめとした当時の画家は驚いたと言われています。

◆浮世絵の模写(3)《ジャポネズリー 梅の開花》

浮世絵らしい力強さがみなぎる作品です。歌川広重の《名所江戸百景 亀戸梅屋舗》を模写しました。

フィンセント・ファン・ゴッホ《ジャポネズリー:梅の開花》1887年 ファン・ゴッホ美術館蔵

画面手前に大胆な幹を配する構図は、ゴッホにとって衝撃的でした。その見事な幹の存在感によって絵に奥行きが生まれ、印象的な一場面が描かれています。こうして浮世絵を模写することで、浮世絵の素晴らしさを自身の作品にどんどん取り入れていったのです。

ゴッホ作品に見る浮世絵の影響は?

ゴッホは積極的に、浮世絵の技法を学びました。そして西洋絵画の技法と融合させながら、自分の作品へと昇華させたのです。ゴッホ作品への浮世絵の影響を見てみましょう。

(1)浮世絵のモチーフを作品に散りばめる

ゴッホは、浮世絵のモチーフを散りばめた作品を描きました。有名な作品の一つが《タンギー爺さん》です。

フィンセント・ファン・ゴッホ《タンギー爺さん》1887年 ロダン美術館蔵

タンギー爺さんは、ゴッホがお世話になった画材屋の主人です。背景の壁を見れば、浮世絵がたくさん貼られています。

当時の肖像画は、人を際立たせることを重視していました。ところがこの絵は、タンギー爺さんが主役なのか、背景が主役なのか……分からないほど華やかです。

歌川広重の風景画をはじめ、日本の美を色濃く盛り込んで、理想の美しい世界観を描いたのですね。

(2)浮世絵の手法を取り込む

ゴッホは、浮世絵ならではの手法を作品にうまく取り込みました。主な手法を紹介します。

◆浮世絵の手法(1)輪郭線をくっきり描き込む

くっきりとした輪郭線は、ゴッホ作品には欠かせない手法です。たとえばゴッホの代表作《ひまわり》も、輪郭線が重要な役目を果たしています。

フィンセント・ファン・ゴッホ《ひまわり》1888年 ノイエ・ピナコテーク蔵

もし輪郭線がなかったら、この絵はどう変わるでしょうか?恐らくぼんやりとした印象の絵になってしまうことでしょう。

ところが実際には、ひまわりや花瓶のボリューム感ある黄色を、太くはっきりとした輪郭線が引き締めています。そのために黄色の存在感が際立つ名作に仕上がっています。

◆浮世絵の手法(2)色を平坦に塗り込む

ゴッホは浮世絵から、彩色方法についても学びました。西洋絵画の常識といえば、陰影をつけること。ところがゴッホは一切の影を消し、鮮やかな色彩を塗り込むようになったのです。


フィンセント・ファン・ゴッホ《アルル近くの小道》1888年 ポンメルン州立博物館蔵

この絵には、まばゆい黄色や緑色など、鮮やかな色彩が平坦に塗られています。影は見当たりません。そのおかげで明るい印象に仕上がっています。さらに、美しい色彩のコントラストが生きた絵に仕上がっているのも魅力です。

◆浮世絵の手法(3)大胆な構図

ゴッホは浮世絵から、大胆な構図も学びました。そして当時西洋で絶対視されていた遠近法を守ることをやめたのです。

たとえば、ゴッホの代表作である《ファン・ゴッホの寝室》。とても分かりやすい例です。

フィンセント・ファン・ゴッホ《ファン・ゴッホの寝室》1889年 シカゴ美術館蔵

この作品でゴッホは、椅子をそれぞれ好きな大きさで描いています。ベッドの枠木も大きいですよね?黄色を広く塗りたかったのでしょう。

ゴッホにとって大事なことは、正確さではありませんでした。「表現したい!」そんな気持ちを大事にしていました。

だから強調したいもの、本当に描きたいものを、大きく、目立つように描いたのです。そのおかげで、一度見たら忘れられない印象的な一枚になっているのですね。

まとめ

ゴッホは浮世絵を知り、惚れ込みました。乏しい資金の中から浮世絵を買い集め、模写しました。浮世絵に大きな可能性を見出していたのでしょう。

もしも、ゴッホと浮世絵が出会わなかったら?もしも、弟テオが浮世絵の購入に反対していたら?私たちはゴッホの名作に出会えていなかったかもしれません。多くの偶然と必然に感謝せずにはいられません。

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