私たちがゴッホと聞いて連想する絵画は、ほとんどが南仏アルルで描かれたものです。ゴッホはアルルに住んだたった1年の間に、《ひまわり》《夜のカフェテラス》《アルルの跳ね橋》などの名作を生み出しました。
ゴッホにとってアルルは、光と色彩を追い求めてたどり着いた地でした。ゴッホが惹かれた3つの理由をひもときつつ、ゴッホのアルル時代の名作を見てみましょう。
ゴッホがアルルを目指した理由とは?
アルルに移住する前、ゴッホはパリに住んでいました。パリから南仏アルルまで、およそ600km。なぜゴッホは、遥か遠いアルルを目指したのでしょうか?
大都会パリは刺激に満ちていました。印象派の絵画と出会ったゴッホは、明るい色彩の魅力に目覚めます。
フィンセント・ファン・ゴッホ《レストランの内部》1887年 クレラー・ミュラー美術館蔵
ただし繊細なゴッホにとって、パリは安らげる場所ではありませんでした。描けども描けども、肝心の絵は一向に売れません。
ゴッホは不器用な性格でした。パリといえば社交的な世界。ゴッホにとっては、人付き合いも負担だったのかもしれません。
そんなときにゴッホが出会い、夢中になったのが、日本の浮世絵でした。ゴッホにとって明るい陽光で知られるアルルは“浮世絵で見る日本”そのものに感じられたのです。
そしてゴッホは1888年2月、念願のアルルへと移住します。まだ寒く、到着した日はあいにくの雪。ところが雪景色ですら「日本のようだ」と喜びました。いかにアルルに恋焦がれていたかが分かりますね。
アルルと浮世絵の共通点とは?
なぜゴッホは、アルルと日本を重ね合わせたのでしょうか?ゴッホがアルルに惹かれた、3つの理由を見てみましょう。
(1)南仏ならではの明るい陽光
ゴッホにとって、アルルと浮世絵で知る日本の共通点、それは明るい陽光でした。
浮世絵には、影が描かれていません。そこでゴッホは、日本を“限りなく明るい光がある国”と考えていました。
南仏ならではの明るい太陽、光溢れる場所。アルルはゴッホにとって、まさに浮世絵の世界、日本のような土地だったのです。
アルルに行けば、日本のような世界が広がっている……ゴッホはそんな風に、南仏アルルと日本を重ね合わせました。そしてアルルへの想いを募らせたのです。
(2)豊かな色彩
ゴッホにとって、アルルの豊かな色彩も大きな魅力でした。
ゴッホは浮世絵を通して、日本という国をイメージしていました。浮世絵を彩る、鮮やかな紅色や澄み切った青。ゴッホは、日本は鮮やかな色彩に満ちた国だと思っていました。
そんなゴッホにとって、色彩豊かなアルルはやはり“日本のような場所”だったのです。
(3)川や海、橋などが多い
ゴッホがアルルを目指した理由として、川や海、橋といったアルルの自然風景も挙げられます。
浮世絵に心酔していたゴッホは、多くの浮世絵作品を集めていました。そして熱心に模写し、浮世絵独自の技法を学びました。
川や海、そして橋。すべて浮世絵でよく描かれるモチーフです。アルルに行けば浮世絵と同じ世界が描ける、存分に腕を振るうことができる。ゴッホが創作意欲を燃やしたのも分かりますね。
ゴッホが南仏アルルで描いた代表作
アルルの光景を気に入ったゴッホは雪解けを待ち、春になると外へと出かけました。アルルに咲く花や麦畑、跳ね橋、小道など、目にする風景を描き始めます。
ゴッホがアルルで描いた絵画を見ながら、ゴッホがアルルで暮らした日々をひもといてみましょう。
アルル時代のゴッホ作品(1)風景画
アルルに到着したゴッホは、たくさんの風景画を描きました。代表作をいくつか見てみましょう。明るい色彩に満ちた、美しい絵画ばかりです。
風景画(1)《アルルの跳ね橋》
ゴッホが気に入った主題の一つがアルルの跳ね橋でした。
フィンセント・ファン・ゴッホ《アルルの跳ね橋》1888年 ヴァルラフ・リヒャルツ美術館蔵
地元でラングロワ橋と呼ばれるこの橋を、ゴッホは繰り返し描いています。柔らかな色彩から、ゴッホ自身の穏やかな心地が伝わってくるかのようですね。
アルルの風景画(2)《アルル近くの小道》
その他、アルル近郊の風景を描いた《アルル近くの小道》。これもゴッホの名作の一つです。
フィンセント・ファン・ゴッホ《アルル近くの小道》1888年 ポンメルン州立博物館蔵
描かれているのは何気ない風景。いわば、ありふれた日常です。でもゴッホならではの色彩のおかげで、温かみのある作品に仕上がっています。
アルルの風景画(3)《前景にアイリスのあるアルルの眺め》
そして、《前景にアイリスのあるアルルの眺め》。
フィンセント・ファン・ゴッホ《前景にアイリスのあるアルルの眺め》1888年 ファン・ゴッホ美術館蔵
あやめを想わせるアイリスの咲き姿に、日本らしさが感じられる一枚です。
アルルの風景画(4)《夜のカフェテラス》
ゴッホは名作《夜のカフェテラス》で、アルルの夜の風景も描きました。
フィンセント・ファン・ゴッホ《夜のカフェテラス》1888年 クレラー=ミュラー美術館蔵
夜空の青と、ガス灯のまばゆい黄色。コントラストが美しい一枚です。
アルル時代のゴッホ作品(2)花の静物画
風景画ほどではありませんが、ゴッホは花の静物画も残しています。
花の静物画(1)《ひまわり》
世界的に有名な《ひまわり》シリーズは、アルル時代に描かれました。
フィンセント・ファン・ゴッホ《ひまわり》1888年 ノイエ・ピナコテーク蔵
ゴッホがひまわりを描いたのは、ゴーギャンと暮らす「黄色い家」に飾るため。黄色い家の中に飾られた、ひまわりの絵の数々。想像しただけで美しいですね。
花の静物画(2)《夾竹桃と本のある静物》
ゴッホは夾竹桃にも惹かれ、美しい絵を残しています。
フィンセント・ファン・ゴッホ《夾竹桃と本のある静物》1888年 メトロポリタン美術館蔵
日本でも見慣れた夾竹桃が、ゴッホの手にかかると、こんなにも芸術的な一枚になるとは……と思わず見とれてしまいます。
花の静物画(3)《グラスに入れた花咲くアーモンドの枝》
《グラスに入れた花咲くアーモンドの枝》は、雪解けを待ちながら描いた絵です。淡い色彩と穏やかなタッチに、ゴッホの優しいまなざしを感じますね。
フィンセント・ファン・ゴッホ《グラスに入れた花咲くアーモンドの枝》1888年 ファン・ゴッホ美術館蔵
アルル時代のゴッホの絵は、美しい色彩で溢れています。ゴッホとアルル、その相思相愛ぶりが、絵からもうかがえますね。
ゴッホのアルル時代終焉
アルルで過ごしたゴッホは、後世愛される名画をたくさん残しました。では、なぜたったの1年で終わりを告げたのでしょうか?
ゴッホのアルル時代に終止符を打つきっかけになったのが、いわゆる“耳切り事件”です。
フィンセント・ファン・ゴッホ《耳に包帯をした自画像》1889年 コートールド・ギャラリー蔵
ゴッホはアルルで、芸術家たちの共同体を作ろうとしていました。同じ家に住み、交流を重ねて切磋琢磨しながら、さらなる高みを目指したかったのです。
その舞台として考えていたのが、黄色い家でした。ここを“芸術村”にしたかったのです。
フィンセント・ファン・ゴッホ《黄色い家》1888年 ファン・ゴッホ美術館蔵
ところが誘いに応じたのは、ゴーギャン一人でした。しかも個性的な二人の共同生活は、うまくいきません。
ついに1888年、“耳切り事件”が起きます。ゴッホはアルルを離れ、東北に20キロ離れたサン=レミの精神病院へと移りました。そして、アルル時代は幕を下ろしたのです。
まとめ
ゴッホの名作を生んだ舞台、南仏アルル。ゴッホは明るい陽光や豊かな色彩に惹かれて、アルルに移り住みました。そのカギとなったのが“浮世絵”であったことに、思わず幸せを感じます。
ひまわり、アルルの跳ね橋、夜のカフェ……およそ130年経った今も、人の心を惹きつけてやみません。それはとりもなおさず、ゴッホがアルルの風景に夢中になった何よりの証なのかもしれません。