ゴッホ作品の《花咲く桃の木》は、淡い色遣いや繊細なタッチが印象的な、美しい早春の絵画です。
ゴッホ作品《花咲く桃の木》をより深く味わうために、「果樹園に夢中になったゴッホ・会心の出来栄え・モーヴの追憶」という3つのポイントで、作品を見てみましょう。
ゴッホ作品《花咲く桃の木》とは?
《花咲く桃の木》は、ゴッホのアルル時代の作品です。ゴッホのイメージといえば、“鮮やかな黄色”や“力強い筆跡”ですよね。でもこの絵は、まるで別人が描いたかのようです。
色彩は淡く、とても優美。そして点描のような繊細な筆遣いです。一つずつ一つずつ、花を愛でながら描いたのでしょう。何もかもが細やか、そして穏やかなのです。
枝を覆う桃の花の、なんと美しいこと。そして空は透き通り、どこまでも続いていくかのよう。早春の柔らかな光を感じる絵画です。
ゴッホが、こんな絵を描くとは……そんな風に感じる方も多いはず。いい意味で、情熱の画家・ゴッホの印象を覆してくれる一枚です。
ちなみに《花咲く桃の木》は、親戚であり恩師でもある画家モーヴ(マウフェ)に捧げられた絵画でもあります。詳しくは後ほど見てみましょう。
「花咲く桃の木」をもっと愉しむ3つのポイント
ゴッホ作品の《花咲く桃の木》を愉しむために、知っておきたいポイントを3つ紹介します。
ポイント(1)果樹園に夢中になったゴッホ
ゴッホは1888年2月、南仏アルルに到着しました。ほどなくして花が咲き始めた果樹園に、ゴッホは夢中になります。アルルの地で、多くの果樹園の名作を残しました。
ゴッホが残してくれた果樹園の絵の数々、思わずため息がこぼれるほど、美しい絵画ばかりです。
フィンセント・ファン・ゴッホ《花咲くアンズの木々のある果樹園》1888年 ファン・ゴッホ美術館蔵
フィンセント・ファン・ゴッホ《花咲く果樹園》1888年 個人蔵
フィンセント・ファン・ゴッホ《花咲く果樹園》1888年 ファン・ゴッホ美術館蔵
桃やアンズ、梨……ゴッホが描く果樹園には、いつまでも見続けたくなるような優しさがありませんか?
どの絵も柔らかな色彩で満たされていて、見ているだけで幸せな春気分になります。
ポイント(2)会心の出来栄え
果樹園を多く描いたゴッホですが、《花咲く桃の木》は本人も納得のいく会心の作でした。
フィンセント・ファン・ゴッホ《花咲く桃の木》1888年 クレラー・ミュラー美術館蔵
弟テオへの手紙にも、こんな一節があります。
耕されたライラック色の地面と、葦の囲いに、派手な空の青と白に対して日本の紅い桃の樹がある果樹園の二十号を戸外で仕上げた。今まで描いた風景ではおそらく一番いい出来だろう。
(引用)1961年 岩波文庫 ヴィンセント・ファン・ゴッホ著、ボンゲル編、硲伊之助訳『ゴッホの手紙(中)テオドル宛』41Pより
あまりの出来の良さに、思わず感情が高ぶったのでしょうね。それにしても、“ライラック色の地面”とは、なんと詩的な表現なのでしょう!ゴッホには土ですら、花の色のように見えるのですね。
《花咲く桃の木》には、日本の里山を連想させる美しさがあります。穏やかな春の光、穏やかな空気。ゴッホを取り巻いていた心地良さまでもが、伝わってくる気がします。
ゴッホがアルルに着いたとき、南仏には珍しい大雪が積もっていました。雪解けを迎え、姿を現した地面。芽吹く木々、次々と咲く美しい花の数々。ゴッホはこの光景を見て、まだ見ぬ日本の春景色を想像したのかもしれません。
ゴッホが描いたアルルの雪景色については、別記事で紹介しています。ぜひあわせてご覧ください。
ポイント(3)モーヴの追憶
《花咲く桃の木》の左下には、「モーヴの追憶 フィンセント」(マウフェの思い出に フィンセント)と書かれています。フィンセントとは、フィンセント・ファン・ゴッホ、つまりゴッホのこと。ではモーヴとは一体、誰なのでしょうか?
モーヴは、ゴッホの従姉の夫です。そしてゴッホがオランダ・ハーグで、絵の手ほどきを受けた恩師でもありました。
アントン・モーヴ(またはアントン・マウフェ)は、オランダ生まれの画家。風車や運河、海や船などの絵を描いたハーグ派のリーダーでもありました。
若い頃のゴッホは、職を転々としていました。何をしても長続きしません。画家になろうと一念発起したのが28歳のときですから、迷いの時期がいかに長かったのが分かりますね。
ようやくスタート地点に立ったゴッホに、デッサンの基礎を教えたのがモーヴでした。
従姉の夫というと、同世代かなと想像します。ところが調べて見ると、モーヴは1838年生まれ、ゴッホは1853年生まれ。つまり15歳も年が離れているのですね。
親ほど離れておらず、とはいえ世代はぐっと上。経験を積み、既に名声を築いていたモーヴの存在は、ゴッホにとって心強かったことでしょう。モーヴの指導は、いわばゴッホの原点とも言えるのです。
モーヴ自身も、ゴッホの面倒をよく見ました。夢に向かうゴッホを励まし、部屋代も貸していたのだとか。ところが次第に意見がかみ合わなくなり、二人は決別してしまうのです。
世間的に見れば、いわゆる“ケンカ別れ”だったのかもしれません。でもゴッホの心の中には、感謝の気持ちがずっとあったのでしょう。
アルルに移住して、モーヴの訃報を聞き、ショックを受けます。まだ49歳、早すぎる旅立ちです。そして描いていた絵に言葉を添え、弟テオに手紙でこう知らせました。
自分の絵に次のように署名した、
モーヴの追憶
ヴィンセントとテオ
だから君さえよければ、そのままそれを二人でモーヴ夫人へ送ろう。(引用)1961年 岩波文庫 ヴィンセント・ファン・ゴッホ著、ボンゲル編、硲伊之助訳『ゴッホの手紙(中)テオドル宛』41Pより
ゴッホのまっすぐで不器用な生き様と、相手を思いやる温かさが伝わってきます。夫に旅立たれたモーヴ夫人を、きっと桃の花の美しさが包み込んでくれたはず……そう願ってやみません。
まとめ
ゴッホ作品《花咲く桃の木》は、日本の春を思わせる美しさが印象的な絵画です。ゴッホの印象が変わる淡い色彩や繊細なタッチには、つい見惚れてしまいますね。
この絵の魅力を増しているのが、何といっても「モーヴの追憶」という添え書きです。ゴッホの真心が伝わるようで、心が温かくなります。そして不器用な人生であったことに“人間ゴッホ”を感じ、絵がますます魅力的に感じられます。